2010年12月07日

地の塩、世の光

宇宙は偶然の産物か、はたまた歴史は無目的で流れているのか…。

無神論は行き着けば「人生に目的などない」という破壊的な結論になったりします。

20世紀初頭にイギリスで活躍した推理作家で、有名なカトリック信者でもあったギルバート・キース・チェスタートン

彼の名言を2つほど挙出してみます。

「唯物論者には、完璧に磨き上げられた機械のごとき彼らの宇宙にほんのひとかけらの精神性も奇跡も受け入れる自由がない。」

心が先か体が先か論争の顛末みたいな言葉ですね。

私たちが住む環境は常に神が宿り、そこに感謝の思いが欠けると、人生って虚しいものだと思いますよ。

「愛とは、愛し得ない者を愛するということであって、そうでなければ何の価値もないものだ。」

これはキリスト教の本質を突いた言葉かな。



旧約聖書のマタイによる福音書第5章13節から抜粋します。

『あなたがたは、地の塩である。

もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。

もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

あなたがたは、世の光である。

山の上にある町は隠れることができない。

また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。

むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。』


塩は使うと溶けてなくなるけど、深い味を演出する貴重な調味料。

イエス・キリストによく使えるしもべとして犠牲かつ献身的な信仰をしなさいという訓示なのかな。

光はその如く、社会を照らす模範になれということでしょう。

好きなことを夢中になる、情の流れるモノを愛するというのは簡単だけれど、愛の本質というのはキリスト教的観点から語れば「愛し難い存在を愛してこそ人格が高まる」ものなんですよ。

チェスタートンはそういう信仰を土台とした社会風刺も交えながら、神父を主人公とした作品が多いのでも有名でしたよね。


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posted by ハマスタの☆浜風 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 人・ことば・サクセスマインド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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