2010年08月09日

NPOや市民運動が定着しないワケ

困った時はお互いさまですよね。

すぐに人に助けを求めるような依存性格も困りものですが、自分1人の実力で生き抜いていく力を身につけるべき…という発想もそれのみでは人間として寂しい気がします…。

これだけ複雑な社会だから自分の人生は自分で守るという風潮が強くなるのもわかりますが、やっぱり人間同士が助け合える文化は捨てたモンじゃないと思います。

ただ、日本って不思議な国ですよねぇ…。

「ボランティア」というと富裕層や時間に余裕がある人がやるもの、ワーキングプアにはとても理解しがたい他人事のようなもの、などと思われちゃうわけです。

不況により雇用不安や生活苦で困っている若者が増加しつつありますが、逆に一流プロスポーツ選手やベンチャービジネスの成功者が高額な年収を手に入れた途端、いきなり裕福な暮らしを謳歌する人もいますよね。

富裕と貧困の二極化みたいな感じになっていくのでしょうか。

まだまだ日本は生活苦の人たちをみんなで助けようというカルチャーが地域社会に乏しいような気がします。

何というか、震災の時くらいしかみんなで困っている人たちに援助の手を差し伸べようという文化が見えてこないんです。

欧米と比較するとボランティアに対する教育の違いがその原因にあると思います。

アメリカなんかは学校挙げての寄付などが日常茶飯事なんだそうです。

子どもたちやその父母に寄付をしてもらう機会を多く作って、ボランティアの意味と重要性を教育していくんです。

高額寄付者は地域住民の中でも自治体がさまざまな特典をつけて厚遇したりしますからね。

それに対して日本の学校ではそのようなことはあまり聞きません。

例えば空き缶集めを地域で募ったとしても、それは受動的な学校行事みたいなもので、先生が率先して子どもたちに活動を強制できませんよね。

欧米社会はキリスト教から来る利他的な奉仕精神が日常に根付いているんでしょう。

アメリカ生活が長かった友人にこの話をすると、「向こうに住めば自然にボランティアの意義を身に染みて感じるようになるよ」とのこと。

向こうは当たり前のように困った人を助けるという市民運動が定着しているそうです。

人間は1人で生きているわけじゃありませんよね。

誰かと支え合って生きているんです。

だから素直な感謝の気持ちから、自分ができる時にはする、そしてできない時には助けてもらう、という単純な行為がボランティアだと思います。

有名どころで大名・上杉鷹山

一村は、互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしき事、朋友のごとくなるべし。

なんて言葉を思い出したりします。

日本もNPOの設立数は増えてきましたが、市民運動が過熱して定着するにはまだまだ時間がかかりそうかな。

小学校からのボランティア教育や宗教教育が乏しいですもん。




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posted by ハマスタの☆浜風 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | NPO・ボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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