2011年06月30日

人が共生するありがたみ

冒頭にスペインの諺から。

山は山を必要としない。

しかし、人は人を必要とする。


孤独な中を生き抜くことは容易じゃありません。

思索に耽ったり、1人でインターネットに没頭してもいいのですが、やはり対人関係がないと人間って成長しないと思うんです。

哲学書を読破したら人格が立派になるわけでもないし、1人で生きることは難しいですよ。



聖書の言葉を紐解けば、創世記第2章18節

「人がひとりでいるのは良くない。

彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


と書かれています。

例えば子どものころにいじめられた経験が多くて、大人になっても他人を信頼できない人がいますよ。

群れないで孤独に生きても寂しくないという考え。

それがいけないとは思いませんが、他人に依存しないで生きていこうとするとひとりよがりになります。

夫婦がいれば何かと互いのために稼いだりご飯作ったり持ちつ持たれつの関係。

子どもがいたら遊んだりテレビのチャンネル争いしたり一緒に遊園地行ったりの日々。

人と交わることって楽しいんです。

人の生き方はそれぞれですけど、どうせ死ぬなら孤独な生き方よりも人と接する喜びを見出せたら面白くなると思います。

一緒に食事する友だちを作るだけで違うし、職場でたわいもない会話ができる同僚がいるだけで気が楽になりませんが?

人間は本来、共生し合うことで幸福に近づけるものじゃないでしょうか。


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2011年05月17日

キリシタン弾圧の真実

ある芸能人が自殺した…というニュースが流れた。

なぜ若くして死に急ぐ、とも思いました。

死んであの世に行けば楽になるとは思えません。

逆に、自ら命を絶った場合は地獄に堕ちてもっと苦しむことさえ知れば、自殺なんてしないと思う。



東日本大震災も、被災者は必死に生きようともがいています。

生きることに必死になっている日本人がたくさんいるのに、何で死に急ぐのでしょう。

豊臣・徳川時代のキリシタンの殉教を彷彿させますよね。

外国からわざわざ極東の地に決死の覚悟で宣教に来た人たちは、命がけで布教に尽くしていきます。

そして江戸時代ですから武士道とマッチしたのでしょうか?

日本人キリシタンも、幕府の迫害や弾圧に負けず何千人と殉教していったのです。

当初はキリスト教を受け入れなかったアジアの他国も、日本と同じような大量の殉教者を出した国はありませんでしたよね。

中国や韓国だってここまではいませんでした。

死を以って潔しとする時代だったから、信仰のためなら喜んで死ねたのでしょう。

現代人とは時代が違い過ぎます。

我々は育ててくれた両親に感謝しなければなりません。

例え職場で苦しいことがあっても、心の支えとなる人を失っても、頑張って生き抜くことが先祖たちへの報いであるし、キリシタンの殉教とは次元が違うのです。

自殺の是非に関する議論は、言うなれば『倫理観』の範疇じゃないでしょうか。

日本では殉職や心中や切腹などが美徳とされてきました。

欧米ではこうはいきません。

自殺の是非じゃなくて、自殺の善悪で説かれるのです。

神様が授けた命を自分勝手に絶つというのは悪、すなわち倫理観でなく『宗教観』の範疇なのです。

日本人は潔さを強調しますが、死んでもあの世に行ったら楽になるわけではないと誰も教えてくれませんからね。

森山直太朗『生きてることが辛いなら』の歌詞でも載せておきましょう。

♪何にもないとこから 何にもないとこへと

何にもなかったかのように 巡る生命だから〜



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2011年05月03日

サイババの名言

ビンラディン殺害騒動でニュースはそれ一色です。

そのかなり前にインドの宗教指導者・サティーヤ・サイ・ババが亡くなられたニュースもありましたが、それもビンラディンの死の衝撃のインパクトに消えそうですね。

何よりアルカイダの報復テロが怖いです。



サイババの話題に戻りますが、葬儀は国葬として執り行われたそうです。

インドの大統領や首相以外で国葬が執り行われたのは他にマザー・テレサのみなんだとか。

サイババはインド古来の伝統文化を重んじ、海外にも多くの信奉者をつかみました。

物質的な奇跡を駆使して信者をつかんだという噂もありますが、人間はみんな神の化身であると主張したのは世界の哲学者たちの喝采を浴びたのです。

神だけが永遠であり、人間は束の間の閃光、生まれては消えていくちっぽけなさざ波でしかありません。

ですから、感性豊かなる意識に神を現出せしめる神の御名を唱えることによって、広大な想い、壮大なる考え、燦然たる輝きでおのれを満たすのです。


彼の名言は数多く遺りましたが、やはり人間というのは死に様が重要だと思います。

いかに惜しまれて見送られるか。

その点では賛否あった人物と言われていますが、神の威光を伝えた重要な人物であり、イエス=キリストやお釈迦様の後臨主と目された人でもあったのでしょう。

本当にご冥福をお祈りします。

あと、我々おじさん世代のスターであった元キャンディーズのスーちゃんも……。

サイババは今のスピリチュアルブームの先駆け的なタレント(指導者)でしょう。

目に見えないものを軽んじる現代人の中にあって、貴重な説法者だったはずですよ。




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2011年04月04日

曽野綾子に見る格好良い老い方

30代や40代に入ると夫婦それぞれの親の面倒を見る機会が増えてきます。

そして老いや死を直面すると、自身の残りの人生も深刻に考え出したりしますよね。

あの三浦朱門氏の妻・曽野綾子さんもここ数年、「老い」をテーマにした作品をたくさん刊行しています。

熱狂的カトリック信者というフィルターを外しても曽野さんの著作は頷く部分が多いのです。



人生の半分を懸命に生きてきたかは関係ありません。

残った人生をさらに有効に使えるか。

曽野さんの著作から面白い言葉を拾ってみました。

神様の視点を持ちなさい。

曽野さんは日本人は経済大国なのに豊かさが感じられないのは、「貧しさを知らないから豊かさがわからないだけ」と語っています。

よい老け方をするというのは、まず自立した老人になるということでしょう。

働いて稼ぎ続けるというのも一手です。

夫婦でアクティブな趣味に没頭するのもいいでしょう。

余生を面白がるというか、衰えや病気を怖がらずに慣れ親しむことも重要です。

ここで彼女の言う「神様」とはキリスト教の神様そのものなんです。

不幸なこと、救われたこと、愛されたこと、今を何に向かって生きていくのでしょうか。

悪いことばかり恨み数えてもよい老後は送れません。

こんな人生だった、だから残りも自分らしく満喫していきたい。

そういう神様のような寛容で旺盛な心を持つことが生き生きとした老人になれる秘訣なんだと思います。




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2011年03月26日

哲学者と社会学者の違い

私は哲学や思想を勉強するのが好きです。

高校3年生の頃、実際に母親とこんな会話をした覚えがあります。

母:「お前は大学で何をやりたいんだ?」

私:「哲学科か国文学科に進みたいなぁ」

母:「哲学? そんなもの学んで、卒業したら仕事何するんだぁ? そんなんで食っていけるのか?」

私:「だったら法律とか覚えるのイヤだし、経済とかも難しそうだし、社会学科にでも行こうかなぁ」

母:「社会学? それどんな学問なの?」



哲学者という職業が古来から存在しますが、そもそも哲学研究だけで食べていけた人ってどれくらいいるんでしょうね。

社会学者、法律家、経営者、大学教授、キリスト神学者などと兼務した人も多いですよね。

哲学者と社会学者って学問領域の境界線がよくわからないです。

あのイギリスの大哲学家・フランシス・ベーコンの言葉を出してみます。

「知は力なり。」

ベーコンが言いたかったのはまず、正しい知識を身につけなさいということ。

帰納法を提唱しただけあって、抽出したいくつかの事象に共通する事柄から結論を導き出す冷静さが必要だと思ったんでしょうね。

イギリス哲学を体系化するだけで大した労力だったでしょう。

その正しい知識は、いかなる先入観や外野の偏見に左右されてはいけません。

それらの知識を使いこなす術を身につけてこそ、自然界や自らの人生を支配できるという考えだったのです。

「知る」と「考える」はちょっと違うんです。

難しく考えやすい人は知識が邪魔になったりする時もあるんですよ。

情報の取捨選択が難しい、かつ偏見に心を躍らされてしまう人もいます。

だから国家観、社会観、家庭観も含めての哲学になると思うので、哲学と社会学って学ぶ内容が被るんじゃないですかね。

周りから「社会学科って何を学ぶの?」とよく聞かれましたが、必ず「社会の仕組みを学ぶところだよ」と抽象的に答えておきました。



最後にベーコンの言葉で好きな語がもう1つあるので紹介しておきます。

「人生は道路のようなものだ。

一番の近道は、大抵一番の悪路だ。」


これは納得でしょう。

成功へのプロセスを省いての成功や幸福はないということです。

そこへ行き着くための準備や勉強や努力を怠らない人でありたいものです。


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