2011年03月12日

大人になってもなぜ勉強しないといけないのか

近・現代史上においては世界最大規模となった東日本大震災。

大津波による被害はさすがに予測不能だったみたいですね……。

今、私たちにとって被災者のために何ができるのか。

祈って冷静に考えてみたいものです。

千葉の実家も大揺れだったようで、東京の知人もさすがに昨晩は何時間も歩いて帰宅したそうです。



人間は感情豊かな生き物であると同時に、高度な脳を使える知性も豊かな生き物だと思うんです。

斎藤メソッドの受け売りかも知れませんが、人って一定の教養は必要でしょう。

というわけで、テレビでも有名な明治大学斎藤孝教授の言葉を借りると、

日本人の生きる呼吸が浅くなってきている。

学ぶとは、「深い呼吸」をすることです。


ということです。

ニーチェ哲学のブームだって教養人たちには大歓迎でしょう。

斎藤さんは若者たちが古典文学を読み込むことを歓迎しています。

私たちが生きるための知恵が古典にたくさん詰まっているからなんですよ。

学ばない人は脳が古びて、昔の賢人たちから何かを得ようとせず、今の自分が感じたまま漠然と人生を消化しようとしてしまいます。

『知る』ことは、人生の選択肢を増やす材料になるんですよ。

逆に学生時代よりも、社会人になってからのほうが勉強って必要なんじゃないですか。

やっぱり教養主義の没落を嘆く著名人が多いのも、日本の将来を憂いてのことだと思います。

選挙前は各党のマニフェストくらい読解して判断したいところです。

学ぶことが自分の心の幅を広げる財産になることをいつも肝に銘じて起きたいですよね。


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2011年03月10日

信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか

正月に初詣に行った由加山の写真を今さらながらアップしてみます。

画像 008.jpg

宗教的にゆかりのある土地を訪れると何だか心が和みますね。

この前の日曜日に近所で餅つき大会があったのですが、子どもたちと一緒に杵を担いで餅をたらふく食べたので楽しい時間を過ごせました。

周りを打算や悪意に満ちた社会と思ってしまうと、他人を信じることって難しいですよね。

そもそも信じることと疑うことってどっちが簡単でしょうか。

福沢諭吉さんの言葉に

「人に交わるには信をもってすべし。

己れ人を信じて、人もまた己れを信ず。」


というものがあります。



自分が相手を信じなければ、良好な人間関係は保てませんよね。

新約聖書のマタイによる福音書第14章に出てくるイエス・キリストと弟子たちの話を書いてみたいと思います。

イエスは信仰による力を示すために、弟子たちだけを舟で向こう岸に行かせました。

舟は湖の真ん中まで進んだところで向かい風を受けて波に悩まされます。

夜明けに、イエスはそこに湖の上を歩いて弟子たちのところへ行くのですが、弟子たちは水上を歩くイエスを見て恐ろしさのあまり、「幽霊だ」と叫んでしまうのです。

しかしイエスはペテロに「水の上をあるいて来なさい」と命じたので、ペテロは舟から降りて水を歩き始めます。

そこでペテロは強い風を見て恐れてしまい、沈んで溺れかけたので、「主よ、助けてください」と叫びます。

イエスはすぐに手を伸ばしてペトロを捕まえてこう語られます。

「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」

そして2人が舟に戻ると強風は収まり、弟子たちは一斉に「あなたはまことに神の子です」と言ってイエスの前にひれ伏します。

ここで重要なのは信仰のない者を責めたということではなく、疑わずに進めば道が開かれるよ、と励ましたことがポイントです。

為せば成ると思えばできるし、沈みかけた人生、もう何も信じられないとなれば沈んでいく一方なんですよ。

あくまでイエスは弟子たちを叱責したのではなく、信じていけば道は開かれることを教えたかったのだと思います。


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2011年03月07日

子どもが甘えたいという気持ちを汲み取る



我が家の子どもは3兄弟。

下の2人は3歳と1歳なのでいつも引っつきもっつき仲が良いです。

結婚する前は育児なんて思うがままに教えていけば子どもは育っていくものと漠然と信じていました。

でもそれは半分当たっていて、神経質になり過ぎる必要はないと思うんです。

ただ重要なのは子どもたちの気持ちの繊細な「機微」に感づいてあげられる親になっていないとダメですよね。



キングカズこと三浦知良選手の言葉にもいい金言がありますよね。

「昨日より1センチでいいから前へ進むんだ。」

現役にこだわってさらに進化を示そうとするサッカー界のスター。

子どもたちにも「なぜそんなことができないのか」と責めるんじゃなくて、ちょっとした変化を見抜いて些細なことでも成長を見抜いてあげられる親になりたいものです。

ずいぶん速く本読みができるようになったねぇーとか、今日は手伝わなくても1人で明日の支度ができたねぇーとか、何でもいいんですよ。

やっぱり3兄弟いると下の2人が親に甘えてくる中、7歳の長男もどこかで甘えたいサインを出しているんです。

弟たちが母親に抱きついて愛情を求めれば、長男も母親に迫って摺り寄ってきます。

私なんかいつも「お前はもうお兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」と叱り飛ばしてしまいますけど…。

母親がそのサインを見落とすと、長男って我慢しているのかふと父親に甘えのサインを出す時もあるんです。

そういった時にしっかりと頭をなでたり、抱きしめてあげて、「弟の面倒をよく見てくれて本当に偉いよねぇー」とほめましょう。

小学生にもなると生意気な口調で親に発言してくるのでつい見落としがちなんですが、長男だからこそ甘えさせる時間を作ってあげなくちゃいけないような気がします。

今日を一生懸命生きて、昨日より何かができるようになった、進歩した実感を持てた、そういう毎日を親と一緒に振り返られる親子って何か微笑ましいですよね。


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2011年02月22日

映画界に思うことをつらづらと…



今年は日本アカデミー賞の予想をブログで書きませんでしたが、知らん間に授賞式が終ってましたね…。

作品賞は『告白』、俳優部門は『悪人』が独占でした。

芦田愛菜ちゃんを新人賞にしておいて主演女優に松嶋菜々子がノミネートしなかったら立場が…。

しかも日本テレビ系列作品なのに。

最近では原作モノ、特に名作漫画の実写化が目立ちますよね。

まぁ、原作のイメージにかけ離れたものが多いこと。 (TдT)

いかに客層を引き付けるかキャスティング勝負だから人気俳優を使うのもわかりますが、矢吹丈役が山Pって…。

丹下の香川も完全に違和感丸出しの演出です。

とか書きながら、まだ観に行ってませんが……。

邦画の盛り返しが叫ばれて好調だったのはうれしいですが、唸らさせる大作が多いかというと疑問なんですよね。

もちろんあの水野さんばりの

「いやぁ、映画って本当にいいもんですね〜」

と思える作品もあるのですが、総じて小粒な印象は拭えません。

製作コストの削減もあるんでしょうけど、CG駆使で安っぽい作品に仕上がってしまうとガッカリですよ。

私が日本の映画に期待するのはやはりストーリーの巧妙さと演出です。

だから演技力の下手な俳優が多いと残念感は残りますよ。

いかに役に入り込んだキャストが多いかと、脚色がそのキャストを活かしているかでほぼ映画の全容が決まるんですが、どうも興行ありきなので芸能事務所とテレビ局の絡みでキャストが決まってしまうのも何だかなぁ。

最後まで展開が読めず「そう来たか」とラストで驚かせる脚本か、はたまたシンプルな脚本でも演出の妙で「しみじみ感」の余韻が最後まで残る作品をもっともっと観たいです。




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2011年02月14日

男児決意した志は変えるべからず

「誠」という文字があります。

言葉が成ると書いて誠という字になるわけですが、ウソ偽りのない純真な心で行うと描いていた夢が実現しますよという意味が込められているんだと思います。

幕末の名士・吉田松陰の詩を紹介したいと思います。



丈夫見る所あり 決意して之を為す

富岳崩るると雖も 刀水枯るると雖も

また誰か之を移し易へんや


誰が何と言っても男児が一旦決意したことは、たとえ富士山が崩れ、利根川が枯れるというような異変が起きても志を変えることはできない、という意味なんです。

いよいよ国禁を破ってペリーの黒船に乗り込み渡米を決意した吉田松陰が、同志に密航計画を明かして反対された時に詠んだ詩なんです。

夢を追いかける者にとって立ち向かうべき相手は、別に困難な現実なのではないと思います。

本当の問題は諦めや妥協といった自身の心の弱さんなんですよ。

松下村塾の伝統というのは今でも幕末史ファンの心をくすぐりますよ。

富士山が崩れても利根川が渇いても心変わりするものではないという強い意志こそが松陰の生き様を物語っています。

日本の政権だって散々叩かれているのは、信念がないというか、政策がブレていることじゃないですか。

幕末を動かして維新を目指した偉人たちは、常に「みんなが幸せになれるよう日本を変えたい」という夢に対する実現欲がブレなかったんですよ。

やはり古典から学ぶことって多いと常々思いますね。


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